高山流公式見聞録

海軍発祥の幻の居合流派、「高山流」厳格な資料を元に、海軍高山流抜刀術の報道局長が執筆してます。

大分県調査旅行記~報道部長所感~

お久しぶりでございます。

本当に不定期な更新となりますが、これからも高山流に関しては書いていく所存でございます。

今回は、平成24年度に行った高山流の調査旅行について私なりに書きましたので、軽い気持ちで読んで頂くと幸いです。

高山流と高山政吉に関しての専門的な事は、三世が書いた本に詳しく載っていますので、私から発言するのは、それ以外のこぼれ話的なお話を皆様にご紹介しようと思います。

私が感じたまま、見たままをありのままに書いて、本に載っていない写真なども出していきたいと感じる所です。

今後もそういった雑記的な記事の執筆を頑張りますので、読者様には気長にお付き合い頂ければ幸いでございます。

 

 

 

 

 

今日は私が三世と高山流の調査をする為に九州の大分県を訪れた時に見聞した話題を、家路に着いてからまとめた話をアップします。

まずはテキスト文章で聞いた事をまとめたものを載せます。

今後の予定は九州旅行の時に取った写真や、その道中に三世と立ち寄った写真なども掲載予定であります。

 

 

 

 

三世が訪れた高山政吉を探す旅①~序文~

 

 平成24年7月末、ムシムシと暑さもうだる中、海軍高山流抜刀術の継承者でもある三世が、流祖高山政吉の後半生の地を訪ねて九州は大分県へと旅に出た。

 終戦となり、戦犯容疑がかかった高山政吉は、一度は自決を決めたものの、藤崎大佐に止められ、陸の孤島九州は大分県の中央部久住という土地へ身を潜めた。

 以前より、久住の調査はやらねばならぬという気持ちであったのだが、如何せん土地勘もないので、動きようがなかったのだが、この度地元の人と繋がることができたので、下準備を済ませてから、三世も大分県入りをした。三世が旅立つことになった事の発端は、このような現実的な問題もクリアして、そして前から謎であった高山政吉の戦後の暮らした土地の事や、終着駅の人生という所が知りたかったからである。

 三世は、戦中の高山政吉の年表を纏め上げ、資料として残しているが、

 「自分は軍人・高山政吉を知っているが、人間・高山政吉の事は知らなかった」

と言っていた。

 確かに、資料から軍人高山政吉の事は想像できるが、戦後の半生は全く知る手がかりが残されていない。 

 現在と違い、戦前の人はあまり無駄口を叩かないというのが、三世の口癖であったように、先代の小山・千原両師も、ペラペラと人の噂話はしない人だったという。なので、高山政吉の人柄や趣味や嗜好などの、プライベートの事は一切解らないままであった。

 三世に、

 「高山政吉という人は、どういう人物だったのでしょうか?普段ぐらいはよく喋ったのではないですか?」

 と、聞いたことが何度かあったが、三世はいつも、

 「きっと寡黙な人で無駄な事は言わなかったと思う。そもそも武人というものは無口である」

 というような事を聞かされていたので、自分の想像は、寡黙で厳格で威厳のある人物を想像していた。

 とかく、そのような人柄を含め、戦後の高山政吉を訪ねて、三世と大分県へ旅に出たのである。

 

 今回の案内役をつとめて下さったのが、地元のO氏。

 下調べは、このO氏が全てして下さったとの事なので、わたくし共々心より感謝申し上げたい。この方がいなければ、今回の九州紀行は成立しなかったと思う。

 今回の現地調査の収穫は、

 

 ・高山政吉の眠る菩提寺正法寺、戒名も判明

 ・高山政吉の久住の家と道場

 ・高山政吉の御内室の阿以の老人ホームにいた頃の写真を頂けた

 ・高山政吉が晩年に完成した道場の新聞写真

 

 主にこれらの事が判明した。 

 新しい情報が沢山得られたし、生前に高山政吉と交流のあったという人にも出会え、大変良い旅路であったという報告を受けた。

 次回も、夏が終わればまた九州へ旅立つ予定であるので、その時にまた詳しい調査をしたいと思う。

 

 

 

三世が訪れた高山政吉を探す旅②~久住の家跡~

 

 大分県竹田市久住町、この町が高山政吉の戦後の人生を過ごした街である。

 自然が豊かな高原に囲まれ、人口5700人ほどの小さな街である。

 人里離れた場所にひっそりと居を構えていたと思われる。道路から10~20メートルほど奥にあり、やはり追われる身であった事を自覚していたのか、隠れるように家が建っていたようだ。

 今は、高山氏が亡くなってから40数年たっているので、跡形もなく樹木が生え元の原野に戻っている。

 もし、次回に行くことがあれば、家の基礎くらいは発見したいものである。

 

 

三世が訪れた高山政吉を探す旅③~流祖が眠る寺~

 

 高山政吉の戦後の人生というのも、これもまた壮絶なものであったと推察している。

 戦犯容疑をかけられたので、罪人として追われる身であるのでできるだけ素性を隠し、山の中に潜まなくてはならない。

 この久住加生島という土地は、戦後に満州などから引き上げてきた開拓団の土地だという。国から貸し与えられた土地を、自分達で耕し住めるようにせねばならない。高山政吉も、そのような何もない土地を耕し、夏はカマスにスイカを詰めて山を降り、久住の街まで自転車を引いて売りに行っていたという話を聞いた。

 そのようにして、日々自給自足で何とか生活していたらしく、お金には大変苦労したという話であった。

 そんな、高山政吉が眠る場所というのが、地元の寺の「正法寺」という場所で位牌のみ納骨堂に入っているという。

 今回は住職の都合で、位牌の写真も拝見できなかったのが残念であった。

 

戒名

法雲院顕政信士位

昭和四十七年六月一日 行年七十四才(数え年)

 

                         合掌

 

 余談であるが、高山政吉は久住の町では「中将」と呼ばれていたとの証言がある。

 ある日、大分に天皇陛下の弟の高松宮の行啓があった時に、『高山を呼べ』と仰せになり呼び出された事があったという。

 高山政吉は、海軍時代に横須賀の砲術学校に籍を置いており、高松宮さまは同校の教頭で充分面識はあった。そして、この高松宮さまは、刀や武道がお好きということで、高山政吉の名前を覚えていらっしゃったのであろうと、推測している。

 そういう事があって、この何もない田舎に宮様のお呼び出しがあったという事で、関係者が驚いたし、まさか高山政吉がそんなに偉い人物だとは誰も思っていなかった事だ、という事である。

 ちなみに高山政吉の詳しい階級は資料からも知る事はできなかったのだが、まさか「中将」ほど高い待遇であったのかどうか?内室の阿以さんは生前少将だと言っていた。

 ここも新たな発見である。

 

 

 

三世が訪れた高山政吉を探す旅④~御内室の阿以さんの事~

 

 歴史の影で支えているのは、いつも女である。

 高山政吉も例外ではないだろうと、勝手に思っているのだが今回、奥方の情報も得られた。

 まず、我々は最初に聞いていた名前が「愛子」という名であったが、どうやら「阿以」というらしい。

 阿以さんが過ごした老人ホームという場所まで三世と行ってきたので、そこで阿以さんの写真を頂く事ができた。

 

高山阿以(戸籍名)

明治39年4月11日 出生

平成5年8月23日 介護老人福祉施設特別老人ホーム久住荘 入所

平成12年3月19日 黒田節、東京音頭、春よ来いなどを同所で歌ったことがある

平成18年11月4日 100歳で死去、姪夫婦がご遺体を引き取る

 

                                     合掌

 

 という経歴を施設の人から聞いたという。

 奥方の事は何も解っていなくて、詳しい話はあまり知る事ができなかった。

 姪の方がいるのでもしかしたら逢えるかもしれないが、恐らく難しいだろうという結論にこの時はなった。(それから4年後、姪の高山千葉子氏にも逢うことができた)

 久住の近辺で付き合いのあった人達の話によると、阿以さんはスラッとした美人で、こんな田舎にいるような人ではなかったと、皆が口を揃えて証言している。それというのも、阿以さんは若かりし頃、京都の舞妓であっという。更に将官の妻ということもあって、どことなく漂う気品の高さのようなものはあったのだと思う。これも私の想像していた通りの絶世の美女らしかったので、安心した。

 

 

 

三世が訪れた高山政吉を探す旅⑤~道場棟上の新聞記事~

 

 昭和43年6月9日火曜日。

 高山政吉68歳の時である。

 長年の願いであった、道場建設が叶いそうであった時期に、新聞記事になっている。それによると、木造平屋建て330平方メートルの大層立派な道場を建築している。

 この件については、小山勇氏が三世に見せたという写真からも道場建設の件は知っていたが、依然謎として残るのが、この建築費用をどうやって工面したかという所である。小山氏は、山を売って作ったというが、それほど土地も持っていなかったし、お金にも苦労していたという事なので、尚のこと疑問である。

 質素な暮らしをしていたという証言もあるので、もしかしたら、この為に細々と貯金していたかもしれないが、それでも莫大な費用になるだろう。

 これも高山政吉の解けない謎の一つである。

 戦後は戦中の栄光はなく、むしろ苦しい生活をしながらも、武道に対する熱意は消える事なく、むしろそれが心の支えでもあったのだと思う。

 こうして九州旅行をして、流祖の過去をなぞりながら思うのは、そのような過酷な状況でも武道を続けていてくれた事が嬉しく、彼は真の武人だったと肌で体感できたことであった。

 そうして、小山・千原両師が高山流を残したいという希望を叶えられずに逝去したが、三世が年表に起こし資料を自ら歩いて集め、更に一冊の本にして残せたので、先代の願いは叶えられたであろう。

 

 

三世が訪れた高山政吉を探す旅⑥~竹田印刷所~

 

 高山政吉が戦後に日本武道体系を自費出版した市内の竹田印刷所は、残念ながら廃業していた。今は虚しく廃屋だけが残るのみである。

 昔は夫婦と男子二人で営業しており、今は隣まちに移ったとのこと。

 我々も高山政吉の本を出す時は、是非ともここで印刷していただこうと考えていたのだが、仕方のないことである。高山先生が去って44年、あまりにも永い年月が通り過ぎた。

 

 

 

 

2012年11月記す、2016年5月加筆修正

 

 これはあくまで私のまとめ旅行記である。詳しい情報は三世がまとめた本があるので全てはそこに集約されている。

 この九州大分県の調査旅行は、多くの方々に支えられ協力していただけた。そして三世と流祖を辿る旅ができたことが嬉しく、光栄に思う。何よりも三世自身も諦めかけていた高山流の本を書いて下さったことが私は誇らしく思い、また自分には到底出来ない仕事なので、尊敬の想いも抱きながら、今後もお手伝いできることはしたいと思う。

 本を書いて下さった三世と、調査に関わって下さった全ての方々にお礼申し上げます。奉拝合掌。

 

平成28年6月1日 海軍高山流報道部長 記(6月1日は高山先生の月命日)

 

 

 

 

 

三世の新道場を公開!

ずいぶんご無沙汰して申し訳ありませんでした。

今日は、三世の新しい道場をご紹介しようと思います。

古民家を三世自らの手でリフォームして築きあげた新しい道場です。

当流派へ上山の際は、是非とも見学して行って下さい。

 

海軍高山流三傑の祭壇

f:id:takayamaryu:20151010215224j:plain右から高山流二世・海軍少尉・小山勇、高山流流祖・高山政吉、わずかに見えているのが舞鶴海軍工廠剣道師範・千原義夫、各先生である。八脚机上のお刀は小山先生の愛刀、その前に海軍軍人の五省が置かれている。

 

恵那秋水会の訓練場

f:id:takayamaryu:20151010133902j:plain高山拱辰館訓練場は約六坪の庭内で地下足袋をはいて実施する。手前に置いてあるのが鉄芯とカンザシをつけた馬式試台。高さは古法どうり二尺となっている。

 

鮫皮八幡宮

f:id:takayamaryu:20151010133838j:plain刀剣外装の隠れたヒーローでありながら一度も陽の目をみなかったお鮫さまに安住の地を寄進した秋水会の小祠。わが国に渡来して千四百年、幾百万頭の英霊たちに感謝を捧げる鎮魂の八幡宮である。

 

馬籠宿から中津川を見る

f:id:takayamaryu:20151011095441j:plain馬籠宿は標高六二0メートルの高台にあり冬期の積雪に人も車も難儀します。右側の地道が中山道で峠を越へて妻籠宿へと続く。左方に少し見えている高原が日本史に初めて登場する霧ヶ原の牧場で木曽馬のふると。

 

秋水会の細工所

f:id:takayamaryu:20151010133933j:plain約四畳の部屋は斬試刀の工房で日夜、細工を勘考して試刀家に提供している。又、上山者の着換え場所でもあるので畳敷きとなっている。看板は父今雄八十六才時の老筆である。

 

 

 

 

※次回は、高山政吉の調査をした九州旅行の記事を上げたいと思います。

元々こちらに上げる予定でしたが、高山政吉関連の本を書くということを三世が言ったので、お蔵入りになりました。

私なりに書いた原稿ですが、ただいま三世の校正が入っているので、近いうちに写真つきで上げれると思います。高山政吉などの詳しい話は本にも載っていますが、こちらは私の旅行所感といった内容になるかと思います。

多少本の内容と被ることはありますが、どのようにして三世と調査に出かけたのか、気楽に呼んでいただければ幸いです。

高山流、最近の動き

長らく沈黙を保っておりましたが、この度その沈黙を打ち破る動きが出そうな予感でございます。

三世が、念願であった高山政吉に関する本を一冊書き上げたことにより

ひとまずの調査が一端の区切りがついたこと。

三世が引越しなど色々な雑務をしていましたが、その辺りも落ち着き、メンバーの再編をしたこと。

以上より、新たな高山流の未来を考えて今後も細々と活動するという話になりました。

今まで高山流は本拠地もなく、人に教えることもあまり進んでやっていなかったのですが、やっと聖地となるべく場所もできました。

高山流を求めて彷徨う剣士には、是非とも高山流の門をくぐっていただきたい所です。

これからも積極的とは行きませんが、今までよりは広く開放したいと思います。

ただし、入門が叶うかは全て三世の判断によりますので、希望者の情熱次第です。

 

 

 

ちなみに、私は今度の高山流再編で「高山流報道部長」という肩書きになりました。

今後は高山流のことを紹介していく係になりましたので宜しくお願いいたします。

 引き続き、本のお問い合わせなど受付けてございますので、何かございましたらメールを下さい。

サイト生存確認

ご無沙汰しております。

このところ、全く更新しておりません。

書きたいことは沢山あるのですが、高山政吉年譜が出版され、これが高山流の全てであるので、私が書くことといえば、主な雑記や三世のことについてくらいしかないと思います。

とかく、このホームページを見ていただき、約20人ほどの方から本を購入して頂きました。

ここまでたどり着いて下さった事、誠に感謝致しますとともに、手作り本にもかかわらず、高い本をご購入して頂き厚くお礼を申上げます。ありがとうございます。

実際に私も、舞鶴・九州の調査に同行し、高山政吉のゆかりの場所を見れたことは本当に感慨深い喜びにございました。

本の編集作業にも少しだけお手伝いをして、とにかく沈黙を保っておりましたが、沈黙を破れるような「ネタ」があれば、更新いたしたいと思いますが、良い課題がございません。

お問い合わせ先のメールアドレスは、正常運転しておりますので、何かあればメールしてください。過去にメールのチェックを怠り、1ヶ月近く放置してしまった経緯があり反省致しましたが、多少遅くてもご返事は必ず差し上げますので、宜しくお願い申上げます。

                                          

 

メールアドレス変更のお知らせ

いつもお世話になっております。

問い合わせのメールアドレスが変更になります。

質問や、本の申し込みは下記アドレスまでお願い申し上げます。

 

kaiguntakayamaryu★yahoo.co.jp

 

※スパムよけのため、@を★に変えてます。

 

返信が暫くないと不審に思われた方は、お手数ですが新しいメールアドレスまでご連絡ください。

 

三世著作本の画像公開!

なぜ思いつかなかったのか・・・

三世の手作り本の画像を公開します。

これで少しは装丁の想像ができるかと思います。

表と裏それぞれ公開いたします。

少しでも皆様の参考になれば幸いでございます。

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前記事の訂正

前の記事にちょっと訂正をしました。

青字が訂正箇所です。

些細なことですがとりあえず更新しておきます。

 

 

偶然ですが、終戦記念日のこの日に、ホームページ掲載の許可が頂けるなんて・・・

三世渾身の本がついに出来上がりました。

手作りコピー本で、もちろん印刷・製本まで全て三世が一人で作っています・・・
個人でやるので、印刷所で製本するには少々金銭的にも覚悟がいります。

出来上がってから、三世はこの本を久住と八女の図書館他、協力者等に14冊寄付したそうです(ちなみに靖国神社に納本予定)が、ちゃんと図書館から、立派な本をありがとうと言われたそうです。
三世の知人にも、この本を見せたそうですが、褒めてくれた人もいたそうです。

ただ、コピー本で5300円もするので、最初は欲しいから買うと言っていた人もおりましたが、やはり高いので購入を辞退する人もいたそうです。

それで良いと私は思います。

ちなみに、最初の告知では1000円か2000円ほどと書きましたが、出来上がってみると、この値段になってしまいました。その辺りはご勘弁ください。

それでもなおという方は、どうぞお申し込みください。

ということで、三世が45年ほどかけて集めた資料と研究がぎっちり詰まった、高山流の本ですが、高山流に興味のある方にお分けします。

これが今の所、高山流・高山政吉に関しての最新最大の情報で全てでございます。

むしろこの本以外の情報をお持ちの方がいらっしゃれば、こちらまで連絡を頂きたいほどでございます。

 

以下の注意をよく読んだ上でお申し込み下さると助かります。

宜しくお願い申し上げます。

 

海軍高山流抜刀術の創始者高山政吉の定本を発行しました。

 

 


書名 海軍高山流抜刀術 高山政吉年譜  
体裁 B5判 一三三頁 手作りコピー本で約半分が写真と図版です  
内容 海軍抜刀術(軍においては軍刀術という)創始者高山政吉の年譜と一代記で背景に時代と関係 者を描写している 

定価 :5300円(送料含)  

第一期:30冊
注文:現金書留封筒が良。電話注文不可、問い合わせは往復ハガキで  
注文先:個人宅のため、メールにて具体的な住所をご案内

                   
注意:未発表写真と記事がありますので、返品不可。よく勘考のうお申し込み下さい  
記事:武道史の空白を埋め、戦前戦後はじめての発行。今後出版されることのない稀書にて研究者向け  

 

平成25年8月15日

 

 

本のご意見ご感想は、直接三世に手紙を書くとスムーズにお返事が頂けると思います。